
仏像を見に、正倉院展に足を運びに、鹿と戯れに、木・金と奈良に行ってきました。
東大寺、興福寺、奈良公園と、修学旅行生やら観光客のオバハンやらにまじってウロウロしていたのだけれど、あのあたり、デカいですね。
東大寺南大門の運慶と快慶がつくった仁王像のあまりのデカさに、笑ってしまったわ。上が見えないやん!
建物から、敷地から、そんで大仏も、京都に比べて、とにかくデカい。なにか、パーステクティブが狂ってるかんじ。ま、建立当初から官営の寺が多かったから、気合いが入ってるんでしょうが。あ、でも、唐招提寺は私営の寺か。今回は行かなかったけど。
んで、奈良公園の、延々とデカい芝生の敷地を眺めてたら、
ブラジルの歌姫、マリサ・モンチがよく似合うことに気がついた。
スケールのデカさというか、それでいて大味になってないところというか、品のよさというか、そういうのが、ピッタリと重なるかんじ。
美しいところも、よく似てる。
ただ、奈良と違う点は、伝統に寄りかかるだけではない、というところですな。
すんません。奈良の悪口を言ってるんではないのですがね。
ただ、東大寺にしても、つまるところ、観光の名所なのであって、観光資源で食ってるところですね。だから、寺としては死んでるわけです。過去の遺産で食ってるんであって、宗教を持った寺としての使命は、今現在果たしていないわけです。ま、役割を終えたというか…。
マリサ・モンチは、ブラジルの伝統に敬意を払いながらも、明日の音楽のために、伝統の森に分け入っているように思います。
優れた前衛主義者は、例外なく伝統主義者でもある、とは、誰が言ったのか忘れたけれど、マリサ・モンチの音楽からは、そうした息吹を感じます。
そんなことを奈良公園の雄大な景色を眺めながらボーッと思っていたら、
その後、知り合いに紹介してもらったカフェで、なんとマリサ・モンチが流れてきて、ちょっとビックリした。
やっぱ、奈良とマリサ・モンチというのは、どこか繋がるところがあるのですかいな?
Marisa Monte / 『Diariamente』