2007年10月24日水曜日

ガラスを見にいく




ガラス好きのマイミクさんであるJ-fishさんが、日記で、ガラス展の模様をときどきアップしてくれるのですね。

オレはガラス工芸のことはよく知らないのですが、お写真を拝見しているだけでもキレイで、ガラスには見えないものもたくさんあって、ガラスって自由度が高い素材でおもしろそう!って、思っていたのですよ。

で、J-fishさんのマイミクさんがガラス作家さんで、そちらの個展が行われたときも日記で紹介してくれて、これまたキレイでしてね、いっぺん実物を見たいなあと思っていたところ、なんと、その方の個展が奈良で開催される!って教えていただき、奈良といえば最近は勝手知ったる場所(笑) そうだ、奈良行こう!ってことで行ってきたのでした。

といっても行ったのは先週の火曜だったかな? もう1週間が経ちますが、例によって写真を撮ってくるのをすっかり忘れていて、これは写真があったほうがいいなあ、と思っていたところですな、奈良在住のマイミクさんのgoutさんが行かれたついでに写真を撮ってきてくださって、ようやく日記のアップとなりました(笑)

なので、上記の写真は、photo by gout-sanです☆
goutさん、恩にきます☆

場所がね、いいところにあるんですよ。
奈良の高畑町ってところなのですが、志賀直哉の旧居があったり新薬師寺があったりする、閑静な場所なのですね。その一角にですな、瀟洒な洋館風のカフェというかブティックというかイベントスペースというか、そういうお店がありまして、お寺さんをまわったりしながらぶらぶらと散策にうってつけの場所なのですが、いろいろとまわっているうちに結構な時間になってしまい、最後は、滑り込むようにして個展に辿り着いたのでした(笑)

ガラスは、大皿になったり花器になったり、アクセサリーになったり、さまざまなかたちに姿を変えるのですが、粉状になった金属が吹き付けられていて(吹き付けられていて、という表現が適当なのかどうかはわかんないんだけれども)、一瞥してガラスとはわからないものまであります。漆かな?なんて思ったものもあるし。。
でも、それでいて、ガラスの持つ清潔感のようなものはまったく失われていなくて、下手な陶器よりも、よほど品がいいですね。

写真の壁にかかっているものは、花器です。一輪差しだったり数本の草花を生けられるものだったりさまざまですが、これまた、一瞥しただけではガラスに見えません。でも、うっすらと透明感があり、奥行きがあり、ガラスでありながらも柔らかさが感じられて、これまたすごく品がいい。

器を眺めるときは、いつも、どんな料理を盛りつけたらしっくり来るかなあ、ってことを想像しながら、眺めています。
色の濃いお皿だと、ウニやフルーツを使った原色の色が入ってるオードブルなんかが映えるだろうな、とか。
白い大皿は、なにを盛りつけてもいいけれども、カツオのたたきとか、どかーんとした料理が美味そう!とか。

そんなことを想像していたらお腹が空いてきてしまいました。
この日は、goutさんもお誘いしてまして(結局、goutさんはこの日と最終日と2度ご来場☆)、その後、goutさん宅で今年初の柿をいただいたのでした。

そういえば、柿を盛りつけてもいいかんじのお皿もありました(笑)



なんか、たまたま手元にあったので、エンヤを聴いとります~。
なんとなく、ガラスっぽいな(笑)

本日の1枚:
『Orinoco Flow』
Enya

2007年10月19日金曜日

身代わり猿ときつねうどん

マイミクさんのJ-fishさんのこれまたマイミクさんのkamekameさんが奈良でガラス展を開催されたので、行ってきたのでした。

その話はまた後日に日記にアップします。

んで、今回は、そのついでにお寺さんをまわったので、やっぱ、ルイス=お寺さん巡りなので、まずそっちから(笑)

近鉄奈良駅からアクセスのいいお寺さんは、この夏にgoutさんの奈良倶楽部へお邪魔した際にあらかたまわったのですが、まだいくつか残っているので、2、3、つぶしてきました。
といって、あまり時間がないので、簡単にまわれるところだけなのですが。

で、今回は、庚申堂。
なかに入れません。入口だけです。
入口だけしか行ってないのに、それだけで日記を1本書こうというのが今回の図々しい企みなのですが、まあ、お付き合いくだされ。

そもそも、庚申堂というお寺さんは、京都にありましてですね、そちらは八坂庚申堂。小さいですが、八坂神社の近くにあって、まあまあ有名なお寺さんです。

庚申、という字が示すとおり、干支の庚(かのえ)&申(さる)の日を意味してまして、オレたちの身体に巣食っている三尸(さんし)の虫が、この日の夜、寝ているあいだにですな、身体から抜け出して、宿主、たとえばオレがこれまでに行なってきた悪行を天帝さんに告げに行くんですわ。
ほいで、天帝さんは寿命を司ってますから、悪行の罰として、オレの寿命を縮めよるわけです。
ところがぎっちょんちょん、この三尸の虫は、オレが寝ているあいだにしか身体から抜け出すことが出来ないので、庚申の日は、徹夜して起きておけばいいわけです。これを、庚申待ちと言いますが、しょっちゅう徹夜しているオレにとっては、なんぼ悪行を尽くしたところで寿命短縮の罰を簡単に回避出来るという、なかなか愉快な物語でもあります。

ちなみに今年の庚申日は、1月26日、3月26日、5月26日、7月25日、9月23日、11月26日ですが、徹夜していたかどうかは覚えてまへん(笑)

まあ、講釈はこんなもんにして…、あ、まだ講釈が続きますわ。
なんせ、実際には入口しか行ってないんで、講釈せんと間が持ちまへん。。

この、庚申堂には、マスコットというか、ここでよく見かけるものがありまして、そいつが、くくり猿です。
じつは、この、くくり猿を久しぶりに見たいなあ、と思って、庚申堂に行ったんですけどね。

さて、猿は、人間に近い動物ではありますが、動物なので、欲、というか、本能のままに行動しますわな。
なので、この猿をですな、人間の欲に見立てて、欲が暴れんようにくくってしまえ!というのが、くくり猿です。

願いごとを叶ようと努力しても、欲が邪魔して邪魔するもんです。だったら、そいつをくくりつけて、庚申さんに上手いことコントロールしてもらおう!ってことで、くくり猿は、猿が四肢をくくりつけられた、獣縛りの格好をしてます。
なので、この場合の願いごとは、宝くじが当たりますように!とかではなくて、受験に合格しますように!といった、目標みたいなもんでないと、ダメなわけですが。


んで、奈良にも庚申堂があることがわかったので、ガラス展に行くまえに、ちょっと立ち寄ってみた次第。

そしたら、まあ、なかに入ることは出来ず、入口でたたずむしかなかったのですが…(笑)

まあ、でも、いいんです。くくり猿が見たかったので☆
しかしですな、奈良の庚申堂は、くくり猿とは言わないみたいです。
身代わり猿、って書いてましたわ。や、姿形は、くくり猿とまったくおんなじなんですがね。

縁起が書かれた立て札があったので、つらつらとそれを読んでますと、京都のそれとは、ちと違います。

三尸の虫は悪病や災難を持ってくる虫になっていまして、コンニャクが嫌いだったので、人々は、庚申の日にコンニャクを喰べて退治した、と。
ほいで、三尸の虫は、さらに、猿も大嫌いで、猿が仲間と毛づくろいをしている姿は、まるで三尸の虫を取って喰べているような格好に見えたので、三尸の虫は恐れをなして逃げてしまった、と。
そこで人々は、いつも家の軒先に猿を吊るして悪病や災難が近寄らないように、おまじないをしている、と。

おもしろいですね~。奈良と京都ではおなじ庚申堂でも、ちょっと意味合いが違いますな。
京都では、人間の欲をくくりつけるものとしてのくくり猿だったものが、奈良では、災難除けの象徴としての身代わり猿になってます。
どこでどう変わったんでしょうね。というか、奈良が先か京都が先かすら、わからんのですが(笑)

庚申堂の入口には山ほど身代わりの猿が吊るされていましたが、このあたりの軒先のあちらこちらで、身代わり猿が吊るされてまして、あっちこっち見まわってました。

という、お話(笑)

三尸の虫を猿が退治してくれるので、正面にお猿さんがいます。でも、ここから先には入れません。。


庚申堂の山門には、身代わり猿がぎっしりです。


アップで見ると、こんなかんじです。お猿さんの四肢が獣縛りでくくられてます。


このあたりの軒先は、どこも、玄関に身代わり猿が吊るされています。


ここは4匹の身代わり猿がいます。


こちらは5匹の身代わり猿がいてました。




奈良に来たとき、いつも気になってたお店がありまして、うどん屋さんなんですが、立ち寄ってみました。
軒先にメニューのサンプルが並んでるんですが、うどんのくせに、あまりのインパクトの強いビジュアルに惹かれて、ちょっと食べてみたかったのですよ。





きつねうどんです。
ありえないビジュアルでしょ(笑)
大振りのお揚げさんを巾着に見立てて、うどんがひと玉まるまる入ってます(笑)
お揚げさんをプチッと破って、なかのうどんを出して、うどんとお揚げさんを一緒に食べる、と。
味は、いたって普通。
可もなく不可もなく。
700円也。



秋も夜長となってきましたので、こんなときは、シックにヴァン・モリソン☆
ほんまもんのハードボイルドです!

本日の1枚:
『Days Like This』
Van Morrison